歴史は、7ホールの挑戦から
始まった。
源頼朝ゆかりの地、古都鎌倉の頂でゴルフができたら、どんなに素晴らしいだろう。
今から半世紀以上も前、まだ周辺にはゴルフ場がなく、プレーも身近ではなかった時代。ゴルフの可能性を信じた先代の手塚誠は、強い信念のもと、ゴルフ場建設に奔走しました。
工事は着工から硬い岩盤との戦いでした。山を削っては土を深く掘って谷を作り、残土を盛り上げて丘を造成。移動した土の総量は想像を絶するもので、困難を極めました。またメンバーは目土を自ら行い、創業家と共にコース作りに尽力し、その熱意はようやく結実。1968年11月23日、待望の「鎌倉カントリークラブ」が誕生しました。
オープンは、わずか7ホールからのスタートでした。1、2、6、7、8、9、10番と続くコースは、途中トロッコに乗ったり、吊橋をわたって移動したりと、なかなかアドベンチャーなラウンド。それでもメンバーは、熱望していた、鎌倉の地にできたゴルフ場でのプレーに歓喜し、心を潤しました。歴史ある伝統の地に、ゴルフという新しい文化が溶け込んだ瞬間でした。
53年の時を経た現在。「鎌倉カントリークラブ」の18ホールは、コース改良を重ね、メンバーの皆様のコース愛に育まれて、大切に守り継がれています。
メンバーと共に紡ぐ、天守閣の
新たな物語。
鎌倉カントリークラブは、1968年に開場した時点で、会員はすでに1000人を超えていました。主に横浜や東京など鎌倉近郊に居住する方が中心でした。
当初のメンバーは、ゴルフ場に黒塗りの立派な送迎車で訪れる年配の方が多く、若いメンバーはルールやマナーを学びながらの、緊張感を伴うラウンドだったそうです。初めてのコンペでは足が震えたほろ苦い思い出も。おかげで人間力が磨かれたと懐かしむ方も、今ではメンバーの最年長です。
皆さん、クラブに所属することに誇りを持てるよう、様々な努力を惜しみませんでした。例えば他人の作ったディボットでも、自ら修正してコースの状態を常に気づかい、またスタッフのサービスの質は、会員自身が品格を保つことで維持するなど、クラブの総評を高めました。
こうしたメンバーの皆さまの大いなるクラブ愛に、岩盤だらけの地を切り拓いてゴルフ場をオープンした先人たちの熱い思いが、静かに息づいています。
メンバーの絆は、時を超える。
地形、地質上の理由から、鎌倉にゴルフ場の建設は期待できないとの見方を、見事に覆して誕生した「鎌倉カントリークラブ」。晴れて7ホールでオープンした当初、クラブハウスはまだ建設の途中にありました。
5階建ての天守閣さながらの佇まいは、戦国武将の歴史が刻まれた、由緒ある鎌倉の地にちなんで設計されました。開場当時は工事の遅れで未完成でしたが、驚くことに、壁も窓もなく、躯体だけの状態で営業を開始。雨が降ると床に水溜りができ、風が吹けば室内の物が舞いました。当然食堂もありません。食事は社員が大船駅前まで、メンバーの人数分のお弁当を買い出しに走っていました。
急ピッチの工事で、ようやく完成したクラブハウスは、ロッカールームや大浴場、宴会場などゴルフに打ち込める環境が整い、食堂では「カレー」や「豚汁定食」が楽しめるようになりました。さらにユニークなのは、託児所の併設でした。いち早く女性の労働環境の改善に取り組んだことは、当時としては画期的でした。女性職員に喜ばれたのはもちろん、女性に優しい環境は女性メンバー急増にも繋がり、ついにはギネスブックにも認定。「より多くの地元ゴルファーに親しんでいただき、ゴルフの裾野を広げる」という、創業者のミッション達成への追い風となったのです。